鵜飼
鵜の気持ちは全部わかりませんが、多分それなりに楽しんで魚を獲っていると思います。むしろ鵜が気持ちよく魚が獲れるよう人間の方が気配りしています。
鵜飼は、訓練した鵜を使って、鮎などの川魚を獲る伝統的な漁法です。鵜飼の歴史は古く、5、6世紀頃の群馬県の古墳から、鵜飼の様子を表現した埴輪が出土しています。日本最古の歴史書『古事記』『日本書紀』にも記述があり、中国の歴史書『隋書』(7世紀)では、日本の鵜飼が世界最古のものとして記録されています。鵜飼は1400年以上の昔から行われています。ちなみに、世界で鵜飼が行われているのは日本と中国だけです。鵜飼で使われる鵜は、日本はウミウ(海鵜)、中国ではカワウ(川鵜)です。ウミウはカワウよりも体が大きく丈夫で、性格も大人しいようです。日本の鵜飼でウミウが使われる理由は、川の浅瀬で行う鵜飼(徒歩鵜)ではなく、舟の上から鵜を操る鵜飼が主流になって、これに適したより大きなウミウが好まれたためといわれています。
鵜の岬
ウミウは人為的な環境の下では繁殖し難いので、日本では唯一捕獲が許可されている茨城県の「鵜の岬」で捕獲した野生のウミウを2、3年訓練してから鵜飼に使います。
鵜匠
鵜飼では、鵜を操る人を「鵜匠」と呼びますが、織田信長が名付けたといわれています。鵜匠の装束は、風折烏帽子(かざおりえぼし)、漁服、胸当て、腰蓑、足半(あしなか)を身に着けます。
漁服は、夜の漁で鵜が驚かないように黒または紺の暗い色の服を着ます。風折烏帽子は、篝火(かがりび)の火の粉から髪を守るために頭に巻きつけた布で、風に吹かれて折れているように見えることから、この名前が付きました。胸当ては、火の粉から開いた漁服の胸元を守るための布です。腰蓑は、水しぶきを防ぐために腰から下を覆う、稲藁を編んで作った伝統的な雨具の一種です。足半は、濡れた船床から滑らないように普通の草鞋を半分にした、つま先で履く草鞋です。
鵜舟
鵜飼で使われる舟を「鵜舟」と呼びます。鵜舟は、全長約13mで、鵜匠の他に舟の舵を取る「艫乗り(とものり)」、助手の「中乗り(なかのり)」を加えた3人1組で構成されています。鵜はペリカンの仲間で、鵜飼は喉にためていた魚を吐き出す鵜の習性を利用した漁法です。船首に篝火を付けて、川面に照らされた篝火の灯りに驚いて活動的になった鮎を鵜が次から次へと捕らえます。鵜匠ひとりにつき6羽から12羽程度の鵜を操ります。
徒歩鵜
鵜舟を使わない鵜飼は「徒歩鵜(かちう)」と呼ばれています。川の浅瀬で篝火を焚きながら、鵜匠が川の中に直接入って1羽ないし2羽の鵜を使って漁をします。
鵜鮎
鵜飼で捕られた鮎は「鵜鮎(うあゆ)」と呼ばれ、鵜のくちばしの痕が付いています。くちばしで鮎を瞬殺するため新鮮で美味しいと人気がありますが、市場に出回りません。鵜鮎は、鵜飼の後に鵜の餌になったり、いくつかの旅館や料亭などに販売したりしているそうです。
鵜飼の里
鵜匠と鵜は毎日一緒に生活しています。鵜匠にとって鵜は家族と同じ存在と思っています。老いて漁が出来なくなった鵜も引き続き鵜匠の家で暮らすので、野生の鵜の寿命が3、4年に対して、鵜飼の鵜は15年くらい長生きするそうです。
鵜飼見物 全国11ヵ所
日本では平安時代(8世紀)から天皇や貴族、武士などが鵜飼見物を行っていました。現代でも西日本を中心に各地で観光鵜飼が行われています。
- 山梨県笛吹市(笛吹川)の「石和鵜飼」(徒歩鵜)
- 岐阜県岐阜市(長良川)の「長良川鵜飼」
- 岐阜県関市(長良川)の「小瀬鵜飼」
- 愛知県犬山市(木曽川)の「木曽川鵜飼」
- 京都府宇治市(宇治川)の「宇治川の鵜飼」
- 京都府京都市(大堰川)の「嵐山の鵜飼」
- 広島県三次市(馬洗川)の「三次鵜飼」
- 山口県岩国市(錦川)の「錦帯橋の鵜飼」
- 愛媛県大洲市(肱川)の「大洲の鵜飼」
- 大分県日田市(三隈川)の「三隈川の鵜飼」
- 福岡県朝倉市(筑後川)の「筑後川鵜飼」
記事にコメントするにはログインが必要です