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佐渡島のろま人形

のろま人形は佐渡弁丸出しのユーモラスな人形芝居。定番シーンは主人公がいつも裸にされて放尿してしまうところ。何度見ても面白い。

2020/11/22

 

新潟県佐渡島では、佐渡金山で栄えていた江戸時代(18世紀)中期の頃より、人形芝居が盛んに行われていました。「説経人形」「のろま人形」「文弥人形」の3つの人形芝居があり、いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されています。そのなかでも、のろま人形は佐渡の古い方言をつかった軽妙な掛け合いが楽しい喜劇芝居で、説経人形の演目と演目の間に上演されました。物語はシンプルでユーモラスで少しエロチックな内容です。

佐渡島のろま人形(下の長者、お花、木之助、仏師)

登場人物は(左から)人のよい「下の長者(しものちょうじゃ)」、男好きの「お花」、正直者だけどマヌケな「木之助」、欲張りで腹黒い「仏師」の4体の人形。「生地蔵(いきじぞう)」「五輪仏(ごりんぼとけ)」「そば畑」「お花の嫁入り」「里帰り」などの演目がありますが、いずれの演目も最後は主役の木之助が裸にされて放尿するというオチになっています。木之助の放尿シーンが近づくと今か今かと心待ちにする観客もいるようです。

代表的な演目は「生地蔵」です。下の長者が四国のお遍路に旅立つ際、女房のお花に生地蔵をお土産に買ってきて欲しいとせがまれます。四国への道すがら、下の長者は京の仏師を訪ねて二十五両で生地蔵を注文します。ズル賢い仏師は隣に住む木之助を生地蔵に仕立てあげ、お遍路を終えた下の長者に木之助を生地蔵と偽って渡します。帰り道中、下の長者は生地蔵と問答を始めますが、地蔵とは思えない受け答えに不信感を抱いて追い回します。最後は木之助がまる裸にされて放尿するという内容です。

佐渡島「説教人形」「のろま人形」

佐渡の説経人形とのろま人形は、江戸時代(18世紀)の中頃、京都の公卿(朝廷の高官)から人形芝居を伝授され、人形を一式購入して持ち帰ったのが始まりといわれています。

説経人形の「説経」とは、僧侶が経典の意味を庶民に説いて聞かせることで、これに節回しをつけたものを「説経節」と呼んでいます。説経人形は、三味線を弾き、善良な人や善良な行いを奨励し、悪者や悪い行いを懲らしめるという「勧善懲悪」が説かれた物語など抑揚をつけて語り、人形を操る古いタイプの人形浄瑠璃(人形芝居)です。

佐渡の説経人形は離島のために、他の人形芝居の影響が受けにくかったようで、アレンジや流行が芸に混じらず、佐渡に伝わってきた当時に近い形で現在も残っているといわれています。のろま人形は、芥川龍之介の随筆「野呂松人形」にも書いてあるように、江戸時代の終わり頃からお金持ちのお座敷芸として大正時代のころまで東京で残っていましたが、今は全く消滅してしまい、唯一佐渡で行われているだけになりました。

佐渡島「文弥人形」

文弥人形は、明治時代のはじめ、佐渡の説経人形と「文弥節」が結びついた人形浄瑠璃(人形芝居)です。「文弥節」は、17世紀後半、大阪で人気だった古浄瑠璃の一流派で、哀調を帯びた旋律が特徴的なので、泣き節ともいわれています。佐渡の文弥節は、代々盲人の間で語り継がれていたので、始祖の語りに近い形で残されているといわれています。

説経人形、のろま人形、文弥人形は、新穂歴史民俗資料館で展示されています。

 

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どもども

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