仙台七夕祭り
日本一有名な仙台の七夕祭りの紹介と七夕の由来についてまとめてみたよ。
「仙台七夕まつり」は、毎年8月6日から8日の3日間にわたって宮城県仙台市で開催される日本一有名な七夕まつりです。青森県の「ねぶた祭り」秋田県の「竿燈まつり」と並んで、東北三大祭りのひとつに数えられていて、毎年200万人以上の観光客が訪れています。
七夕行事の由来には諸説があって、牽牛星と織女星が年に一度、天の川をはさんで出会うという中国の「星祭伝説」、女子の裁縫の上達を願う同じく中国の「乞巧奠(きこうでん)」の行事、神様に織物を奉納する日本の「棚機津女(たなばたつめ)」の伝承、「灯籠流し」の風習や水浴して心身の穢れを清める日本古来の禊の慣習など、それらが複合して日本の七夕行事が出来上がったと考えられています。
星祭伝説は、天帝の娘である織女(和名:織姫)が機織ばかりしているので、心配になった天帝は娘を天の川の向かい岸にいる働き者の牽牛(和名:彦星)と結婚させましたが、その後二人は恋に夢中になって全く仕事をしなくなり、天帝の怒りにふれて二人は天の川の両岸に引き離されました。しかし、年に一度だけ旧暦7月7日の夜に天の川を渡って逢うことが許される、という内容です。
織女星(琴座のベガ)と牽牛星(鷲座のアルタイル)が、年に一度、旧暦7月7日の夜に近づくところから、この伝説が生まれました。
棚機とは、棚(横板)が付いた機織のことで、その機織で布を織る乙女を「棚機津女」と呼びます。「棚機津女」が旧暦7月7日に機屋に籠り、布を織って棚にそなえ、神様を迎えて五穀豊穣を祈ったというのが「棚織津女」の伝承です。
「乞巧奠」は中国古来の風習ですが、日本には奈良時代(8世紀頃)に伝わりました。旧暦7月7日の夜に織女星を祀り、酒・果物・菓子などをお供えして、機織や裁縫、歌舞や音楽などの芸事、詩歌や書道などの上達を願う行事です。江戸時代(17世紀頃)から笹竹に短冊つけて立てるようになりました。
日本古来の風習として、旧暦7月7日に厄災を払うために、灯篭に託して川や海に流す「灯篭流し」が行われたり、水浴して心身の穢れを清める禊が行われたりしていました。江戸時代までは日本の七夕行事は、先祖の霊を迎えるお盆と習合していましたが、明治時代以降、お盆が月遅れの8月に行われるようになると、七夕行事とお盆の関わりも薄れて、「灯篭流し」は先祖の霊を送り出すお盆行事のイメージが強くなりました。
仙台市内中心部のアーケード街をはじめ周辺の商店街には色鮮やかな笹飾りで街中が埋め尽くされます。仙台七夕まつりは、吹き流しを中心に「七つ飾り」と呼ばれる7種類の笹飾りを飾るのが特徴です。期間中は長さ10m以上の笹竹に、くす玉が付いた長さ3mから5mの吹き流しが並びます。
七つ飾りは、①短冊(学問や書道の上達)、②紙衣(病気や災難の厄除)、③折鶴(健康長寿)、④巾着(金運上昇)、⑤投網(豊漁・豊作)、⑥屑籠(倹約)、⑦吹き流し(裁縫や技芸の上達)の7種類です。それぞれの飾りには意味があります。
仙台七夕まつりは、仙台藩祖の伊達政宗が婦女の文化向上の目的で七夕を奨励したのがはじまりといわれています。伊達政宗を祀る瑞鳳殿では毎年8月6日から8日までの3日間、18時から21時まで、参道や境内に笹飾りや竹灯篭を飾って「瑞鳳殿 七夕ナイト」が開催されます。瑞宝殿は神社や寺院ではありません。伊達政宗の霊廟です。
仙台七夕までのアクセス
【鉄道】
JR東京からJR仙台駅まで東北新幹線で約1時間30分。JR仙台駅下車。
【飛行機】
伊丹空港から仙台空港まで約1時間15分。仙台空港駅から仙台空港線でJR仙台駅まで約30分。
記事にコメントするにはログインが必要です