天童公園(舞鶴山)
舞鶴山麓の沼畔には散策路があって、天童温泉に泊まった翌朝は散歩に出かけてみるのもいいですよ。
山形県天童市の中心部にある舞鶴山(標高242m、比高差133m)は、山全体が「天童公園」として整備されているので、市民の憩いの場として、また、春は2000本の桜や1万本のツツジが咲き、秋は紅葉が楽しめるので、観光名所として知られています。山頂の展望広場からは、月山や朝日連峰、最上川などが一望できます。天童温泉街から徒歩5分程度です。
人間将棋
天童市は「将棋のまち」として有名で、将棋の駒の生産量は全国シェアの約95%です。毎年4月下旬の土曜日、日曜日には、満開の桜の下で開催される春の風物詩、巨大な将棋盤の上で人間が将棋の駒となって繰り広げられる「人間将棋」が行われます。
天童城址
舞鶴山の山頂には14世紀後期に天童氏によって築かれた天童城址あります。天童城は村山地方最大の山城でしたが、1584年に最上義光によって攻められて落城。二度と築城できないように本丸跡に愛宕神社が造営されました。神社の裏には物見櫓跡と思われる盛土が残っています。
建勳神社
舞鶴山の中腹に鎮座する「建勳(たけいさお)神社」は、戦国武将で有名な織田信長を祀る神社です。江戸時代(19世紀前期)天童藩を立藩した織田氏は、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)の子孫にあたります。明治維新の時、天童藩は官軍(新政府軍)に味方したことや織田信長の偉大な功績を称えられて明治政府から神号が授与されました。建勳神社の境内にある1万本のツツジは観光名所となっています。
吉田大八の銅像
舞鶴山の山頂に天童藩の家老・吉田大八の銅像が建っています。吉田大八は、財政難であった天童藩の武士に将棋駒の製造を奨励した人です。また、戊辰戦争(1868年)の時には、新政府軍と対立していた東北地方の諸藩(「奥羽越列藩同盟」)から、新政府軍に参加した天童藩を守るために、吉田大八は列藩同盟に自ら捕らえられ、責任をとって切腹した人です。吉田大八は郷土の英雄として天童市民に親しまれています。
舞鶴山展望広場
舞鶴山の山頂には展望広場があって、眼下には天童温泉の温泉街が広がり、月山や朝日連峰、最上川などが一望できます。夜景スポットしても人気があります。
天童公園散策路
舞鶴山の麓にある愛宕沼の周辺は一周約400mの散策路になっていて散歩に最適です。
天童公園へのアクセス
JR東京駅からJR天童駅まで山形新幹線で約3時間。JR天童駅下車、JR天童駅から天童温泉まで徒歩約10分。天童温泉から天童公園まで徒歩約5分。
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