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ホーム > トラベルマガジン > 富山県 > のどかで日本の原風景という印象の五箇山ですが、実は合掌造り民家の床下で火薬を作っていた軍事基地だったのです!

雪に覆われた合掌造りと平家の落人伝説のイラスト

のどかで日本の原風景という印象の五箇山ですが、実は合掌造り民家の床下で火薬を作っていた軍事基地だったのです!

2022/01/07

 

「五箇山」は、富山県の南西端(岐阜県石川県の県境)、庄川の中流域に位置する山深く険しい地域です。五箇山は40の小さい集落の総称で、5つの谷間があるので五箇山と呼ばれています。五箇山には、木曽義仲(源頼朝・義経の従兄弟)に敗れた平家の落人が住み着いた伝説(12世紀末)や98代・長慶天皇が落ち延びた伝説(14世紀末)などが残っています。江戸時代(17世紀~)になると、加賀藩(現在の石川県富山県)の流刑地として、軍事的拠点として機能していました。

五箇山の合掌造りの茅葺民家のイラスト

五箇山といえば、「合掌造り」と呼ばれる独特な形状の茅葺民家がある地域(「白川郷・五箇山の合掌造り集落」)として有名で、南砺市相倉(あいのくら)と南砺市菅沼(すがぬま)の2集落は白川郷の白川村荻町(おぎまち)集落と共に「世界文化遺産」に登録されています。五箇山は観光地化されていない自然が残されているところが魅力です。

五箇山の合掌造り「岩瀬家」のイラスト

「岩瀬家」は、五箇山・白川郷で一番大きな合掌造りの家屋です。約300年前に建てられた5層建ての茅葺民家です。3層から5層は養蚕の作業場になっています。明治時代まで30人以上の家族が暮らしていて、基幹産業の養蚕に従事していました。また、五箇山で生産された塩硝(=焔硝、煙硝)を加賀藩へ上納する役宅だったので、屋内は総ケヤキの豪奢な造りです。国の重要文化財です。現在も居住されていますが、内部見学ができます。

「塩硝の道」の概略図

塩硝(焔硝)とは、硝酸カリウム(硝石)のことで、黒色火薬、マッチ、花火などの原料です。江戸時代、加賀藩は黒色火薬の原料である焔硝を五箇山で製造していました。外様大名*だった加賀藩は、徳川幕府との関係で焔硝の製造は秘密裡で行われ、表向きは「塩」として製造していたので、「塩硝」の字を使っていました。製造された塩硝は「塩硝の道」(塩硝街道)と呼ばれる地図にも載ってない山道を使って金沢に運ばれ、硫黄・木炭を配合して黒色火薬が製造されていました。五箇山は加賀藩の流刑地であり、山と谷に遮られ、他地域から隔絶された「陸の孤島」でもあったので、加賀藩が主導して焔硝を秘密裡に製造するには好都合な地域でした。

*外様大名は、関ヶ原の戦い(1600年)後、徳川家に臣従した大名のことで、前田家(加賀藩)、島津家(薩摩藩)、伊達家(仙台藩)など大大名が多く、幕府が警戒していました。

五箇山の焔硝(塩硝)製造の概略図

当時の日本では、古い民家の床下に焔硝が自然発生することはよく知られていて、他藩(五箇山以外)では床下から焔硝を採集(=古土法)していたのに対して、加賀藩(五箇山)では計画的に焔硝を製造していました。囲炉裏の周りの床下に長さ3.6m、幅1m、深さ2mの大きな穴を掘って、そば殻やヨモギ、麻などの乾草と蚕の糞を交互に何層にも積み重ね、人尿を掛け、囲炉裏の熱のもと、4、5年発酵させて焔硝を製造(=培養法)していました。

「塩硝の館」で火縄銃の模擬体験しているイラスト

「塩硝の館」では、塩硝の採取から出荷までをわかりやすく解説しています。また、火縄銃も展示されていて、火縄銃の模擬体験もできます。

五箇山(紙漉き体験のイラスト)

「道の駅 たいら」に併設する「五箇山和紙の里」では、五箇山の基幹産業のひとつである五箇山和紙の歴史や製造工程、製品などを紹介しています。和紙すき体験ができます。

合掌造りと五箇山豆腐のイラスト

五箇山では、五箇山の澄んだ水と地元の大豆を使った「五箇山豆腐」の豆腐造り体験ができます。伝統的な「五箇山豆腐」は縄で縛っても形が崩れない硬い豆腐です。五箇山豆腐を販売するお店や食堂があります。

五箇山で展示されている「籠の渡し」のイラスト

かつて五箇山は加賀藩の流刑地だったので、橋をかけることがでませんでした。対岸に渡るときは蔓で作った大綱を張り渡し、籠に乗って川を渡っていました。菅沼集落には「籠の渡し」の展示があります。

 

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どもども

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