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秋田県湯沢市は「世界三大美女」のひとり小野小町の故郷です。小野小町と深草少将の悲しい伝説をまとめてみた。

秋田県湯沢市は「世界三大美女」のひとり小野小町の故郷です。小野小町と深草少将の悲しい伝説をまとめてみた。

2021/01/15

 

秋田県湯沢市の雄勝(おがち)地区は、平安時代前期(9世紀)の女流歌人、小野小町の誕生の地、終焉の地と言われています。国道13号を走行すると見えてくる朱色の建物は、小野小町を偲んで建立された小町堂です。深草少将が小野小町に贈った芍薬を植えた場所と伝えられているので、かつては「芍薬塚」と呼ばれていました。小町堂を中心に小野小町ゆかりの伝承地がたくさん残されています。

小野小町は、(日本では)エジプトのクレオパトラ、中国の楊貴妃と並んで「世界三大美女」のひとりとされています。平安時代前期(9世紀中頃)、和歌を集めた『古今和歌集』の六歌仙(6人の歌人)のひとりです。

小野小町は、(日本では)エジプトのクレオパトラ、中国の楊貴妃と並んで「世界三大美女」のひとりとされています。平安時代前期(9世紀中頃)、和歌を集めた『古今和歌集』の六歌仙(6人の歌人)のひとりです。

小野小町の有名な和歌「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」は、花の色が褪せていくように自分自身も年老いていくことへの儚さを詠んだ和歌で、百人一首にも収録されています。

小野小町の有名な和歌「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせしまに」は、花の色が褪せていくように自分自身も年老いていくことへの儚さを詠んだ和歌で、百人一首にも収録されています。

小野小町の出生については日本各地に伝承されていますが、秋田県湯沢市が特に有力とされています。秋田県の雄勝(おがち)の伝承によれば、小町は13歳まで雄勝で過ごし、約20年間宮中で仕えて、36歳の時に再び雄勝へ戻って来たと伝えられています。

小野小町の出生については日本各地に伝承されていますが、秋田県湯沢市が特に有力とされています。秋田県の雄勝(おがち)の伝承によれば、小町は13歳まで雄勝で過ごし、約20年間宮中で仕えて、36歳の時に再び雄勝へ戻って来たと伝えられています。

「桐木田(きりきだ)の井戸」は、小町が産湯に使った井戸と伝えられていて、平安時代初期に都を中心に見られた井戸と同じ方法で創掘されたものと実際に鑑定されています。

「桐木田(きりきだ)の井戸」は、小町が産湯に使った井戸と伝えられていて、平安時代初期に都を中心に見られた井戸と同じ方法で創掘されたものと実際に鑑定されています。

小野小町の有名なエピソードとして、深草少将の「百夜通い」があります。深草少将は六歌仙のひとりと伝えられていて、雄勝の伝承によれば、小町に想いを寄せていた少将は、京都から雄勝まで追い駆けて来て、老女に恋文を託して、小町の返事を待っていました。その場所が「御返事(おっぺじ)橋」と伝えられています。

小野小町の有名なエピソードとして、深草少将の「百夜通い」があります。深草少将は六歌仙のひとりと伝えられていて、雄勝の伝承によれば、小町に想いを寄せていた少将は、京都から雄勝まで追い駆けて来て、老女に恋文を託して、小町の返事を待っていました。その場所が「御返事(おっぺじ)橋」と伝えられています。

しかし、小町に会うことはできず、小町からの返事は「亡き母が好きだった芍薬を毎日一株ずつ百夜続けて植えてほしい」という内容でした。こうして少将の「百夜通い」がはじまります。少将が毎日一株ずつ芍薬を植えた場所が「芍薬塚」(小町堂)と伝えられています。

しかし、小町に会うことはできず、小町からの返事は「亡き母が好きだった芍薬を毎日一株ずつ百夜続けて植えてほしい」という内容でした。こうして少将の「百夜通い」がはじまります。少将が毎日一株ずつ芍薬を植えた場所が「芍薬塚」(小町堂)と伝えられています。

小町が少将と会わなかった理由は、小町が皮膚病(疱瘡)を患っていて、百夜のうちに病気が治るようにと、磯前神社の境内に湧いていた霊泉(「小町泉」と呼ばれていました)で顔を洗っていたと伝えられています。

小町が少将と会わなかった理由は、小町が皮膚病(疱瘡)を患っていて、百夜のうちに病気が治るようにと、磯前神社の境内に湧いていた霊泉(「小町泉」と呼ばれていました)で顔を洗っていたと伝えられています。

少将は芍薬を持って九十九夜通い続けますが、百夜目に森子川の氾濫で流されて亡くなります。

少将は芍薬を持って九十九夜通い続けますが、百夜目に森子川の氾濫で流されて亡くなります。

小町は、少将の亡骸を森子山に葬ったと伝えられ、自分も死んだ時は、隣に葬ってほしいと遺言したと伝えられています。森子山は現在「二ツ森」と言われ、男森が少将の墳墓、女森が小町の墳墓と伝えられています。

小町は、少将の亡骸を森子山に葬ったと伝えられ、自分も死んだ時は、隣に葬ってほしいと遺言したと伝えられています。森子山は現在「二ツ森」と言われ、男森が少将の墳墓、女森が小町の墳墓と伝えられています。

少将の死を悲しんだ小町は、晩年は俗世間を離れて、雄物川の上流にある岩屋堂と呼ばれる洞穴で香を焚き、自像を彫って92歳まで暮らしていたと伝えられています。

少将の死を悲しんだ小町は、晩年は俗世間を離れて、雄物川の上流にある岩屋堂と呼ばれる洞穴で香を焚き、自像を彫って92歳まで暮らしていたと伝えられています。

芍薬の花が香る毎年6月第2日曜日に開催される「小町まつり」では、市内外から選ばれた七人の小町娘が市女笠(いちめがさ)姿で登場して、小野小町が詠んだ七首の和歌を朗詠して小町堂に奉納されます。

芍薬の花が香る毎年6月第2日曜日に開催される「小町まつり」では、市内外から選ばれた七人の小町娘が市女笠(いちめがさ)姿で登場して、小野小町が詠んだ七首の和歌を朗詠して小町堂に奉納されます。

 

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どもども

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