洪福寺松原商店街
全国の商店街が低迷している中、どうして横浜の「洪福寺松原商店街」は賑わっているのか?驚異の来場者数!年間40万人増加させたあるアイデアとは?
「洪福寺(こうふくじ)松原商店街」は、神奈川県横浜市保土ケ谷区と西区にまたがる商店街です。最寄り駅の相模鉄道「天王町駅」から旧東海道を横浜方面に徒歩6分のところにあります。200m四方に八百屋、魚屋、肉屋、花屋、靴屋、乾物屋、酒屋、衣料品店など、約70店舗が軒を連ねていて、レトロな雰囲気が漂う昔ながらの商店街ですが、地元だけではなく、遠方からもお客さんがわざわざやって来るという超人気の商店街です。盛況ぶりはよくテレビ番組にも取り上げられています。1日に平日2万人、週末2.5万人、年末には10万人の人出があるとか。別名「ハマのアメ横」と呼ばれています。
かつて天王町駅の周辺は保土ヶ谷宿でした。保土ヶ谷宿は東海道五十三次の日本橋から4番目の宿場町です。浮世絵師の歌川広重も描いた「帷子橋(かたびらばし)」は、川筋が変わる以前は天王町駅の付近に架けられていました。現在は公園として整備されていて、園内には橋を再現したモニュメントがあります。
天王町駅から洪福寺松原商店街に向かう道(旧東海道)の途中に「橘樹(たちばな)神社」が鎮座しています。祭神はスサノヲ(須佐之男命)で、疫病を司る日本神話にも登場する神です。頭が牛の頭という姿なので、別名「牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれています。天王町の名前の由来になった神社です。
洪福寺松原商店街は、1952年に「松原安売り商店会」として始まりました。戦後の物がない時代から「安さ」を売りにして発展してきた商店街です。一方、松原安売り商店街の南側・洪福寺の周辺には「洪福寺商栄会」という商店街があり、遊郭やカフェー街(社交喫茶街)などもあって賑わっていました。しかし、1958年に売春防止法が施行されるとカフェー街が消滅。2つの商店街は将来を見据えて1960年に合併して「洪福寺松原商店街」になりました。その後、洪福寺まで走っていた横浜市電(路面電車)が廃止されると人通りが少なくなり、「旧・洪福寺商栄会」の部分が自然に消滅してしまいました。現在の洪福寺松原商店街は、「旧・松原安売り商店街」の部分が残った形になっています。
洪福寺は、鎌倉時代末頃(1330年代)に創建された禅寺です。境内には、社宮司(しゃぐうじ)大権現という風邪を治す咳の神様が祀られていて、俗称「おしゃもじ様」と呼ばれています。かつては風邪を引いた時、おしゃもじ様にお供えした杓子を1本持ち帰って、喉を撫でると効き目があるといわれ、治ると杓子を2本にしてお礼参りするという風習がありました。
現在は活気に満ち溢れている商店街ですが、近くに大型ショッピングモールやスーパーマーケットが増えたことで、一時は洪福寺松原商店街の来場者数が激減しました。しかし、商店街の人たちがいろいろアイデアを出し合って、年間40万人という来場者数を増加させることができました。そのアイデアの1つがショッピングカートの導入です。重い荷物を持つのが大変だったお年寄りや、まとめ買いをするお客さんの買い物が増えました。
魚幸水産は、清水港から直接買い付けしているマグロの解体ショーや威勢のよい量り売りのかけ声が超有名な魚屋さんです。店内はマグロだけではなく、その時その時に仕入れた新鮮でお買い得な魚もたくさん並んでいます。魚屋さんなのに顔出しパネルがあるので思い出作りの記念撮影もできます。
外川商店は、テント屋根の上に積み上がったダンボール箱が名物になっている八百屋さんです。ダンボール箱を片付ける暇も、置く場所もないので、このようなスタイルになりました。店員さんのダンボールを投げるパフォーマンスをわざわざ見物するために遠方からやって来るお客さんもいます。
洪福寺松原商店街の魅力は「安さ」と「人情」です。毎日が「大安売り」しているようなお店がたくさんあって、大型店舗のようにただ買い物するだけではなく、お店の人とお客さんが楽しくコミュニケーションができるところが魅力的です。そして、毎日がお祭りのように商店街に来ただけで楽しい気分になれるところはもっと魅力的です。そんな洪福寺松原商店街に一度訪れてみて下さい。わくわく☆ドキドキできるような楽しい体験ツアーもあります。
洪福寺松原商店街までのアクセス
JR東京駅からJR横浜駅までJR東海道本線で約30分。JR横浜駅で相模鉄道相鉄本線に乗り換えて相模鉄道天王町駅まで約5分。天王町駅下車徒歩約10分。
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