何故、信楽焼の「たぬきの置物」は金玉が大きいのか?たぬきの置物に隠された8つの意味
信楽(しがらき)は、滋賀県の最南端、甲賀(こうか)市の西部にある地域です。甲賀市の西は京都府、南は三重県の伊賀市と隣接しています。奈良時代(8世紀の中頃)、聖武天皇によってわずか3年間でしたが信楽に都が置かれました。
信楽はお茶(朝宮茶)や陶器(信楽焼)の産地としても有名です。「朝宮茶」は1200年以上前から栽培されている日本最古級のお茶で歴代天皇にも献上されています。「信楽焼」は鎌倉時代から続いている陶器で日本六古窯のひとつに数えられています。
信楽は京都に近かったので、室町時代(14世紀)以降、茶道の隆盛とともに信楽焼は発展しました。特に信楽焼の茶陶は貴族や文化人によって珍重されました。
有名な信楽焼の「たぬきの置物」は、明治時代にはじめて作られたといわれています。1951年の昭和天皇の行幸の際に、信楽の沿道に日の丸の小旗を持った「たぬきの置物」が延々と並んでいる光景を昭和天皇は楽しまれて、俳句を詠まれたことが新聞に紹介されました。それ以来、信楽といえば信楽焼の「たぬきの置物」として全国に知られるようになりました。
「信楽焼のたぬきの置物」は商売繁盛の縁起物として好まれていますが、たぬきの「笠」「大きな目」「顔」「徳利」「通帳」「大きなお腹」「金袋」「しっぽ」にはそれぞれに意味があります。
「笠」は、 悪事災難から身を守るために日頃から準備する。
「大きな目」は、 周囲をよく見て正しい判断をする。気配りも忘れない。
「顔」は、 いつも笑顔を忘れない。
「徳利」は、 人徳を身につける。
「通帳」は、 信用第一、約束を守る。
「大きなお腹」は、 冷静さと大胆さを持ち合わせる。
「金袋」は、 金運を身につける。
「しっぽ」は、 終わりよければすべてよし。中途半端で終わらせない。
805年、比叡山延暦寺の開祖・最澄(伝教大師)が中国からお茶の種を持ち帰り、信楽の岩谷山に植えて815年に朝廷に献上したのが日本茶のはじまりといわれています。
江戸時代、松尾芭蕉は信楽に立ち寄って「木隠れて 茶摘みも聞くや ほととぎす」の俳句を詠みました。(松尾芭蕉の故郷は甲賀地方と隣接した三重県の伊賀地方です)
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