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長崎県 出島

歷史課本裡出現的長崎“出島”,其四周現在都已被填埋,和陸地相連了

2021/03/07

 

長崎縣的“出島”是在江戶時期鎖國政策下於1636年填埋出來的人工島嶼。人工島嶼呈扇形,總面積約1500平方公尺,約是1/3個東京巨蛋的大小。工期約2年,總工費以現在的貨幣價值來計算的話約是4億日元。這座人工島嶼是由江戶幕府命令長崎商人們建造而成的。據說當時長崎的商人們在向第3代將軍德川家光詢問關於人工島嶼形狀的意見時,德川家光拿出了自己的扇子,要商人們以他的扇子當範本來建造。這件軼事一直流傳至今。

1549年、宣教師のザビエルがスペインから来日して以来、西日本を中心にキリスト教が拡がりました。布教活動と貿易は一体だったので、キリスト教に改宗する「キリシタン大名」も現れました。キリシタン大名は宣教師がもたらす貿易で大きな利益をあげていました。

1549年,傳教士沙勿略從西班牙來到日本以後,以西日本為中心推廣了基督教。由於佈教活動和貿易是一體的,所以也出現了改信基督教的“基督徒大名”。基督徒大名在傳教士帶來的貿易當中獲得了巨大的利益。

鎖国政策の最大の目的は、キリスト教の禁止です。キリスト教の新しい思想によって幕府の政治体制が否定されること、キリシタン大名が貿易で大きな利益をあげていたことなどの警戒感から、江戸幕府はスペイン船やポルトガル船の来航を禁止して、幕府による貿易の独占(貿易統制)を行いたいと考えました。 この頃、オランダ船も来航していましたが、貿易のみで布教活動はしませんでした。むしろオランダは、スペインやポルトガルの布教活動の背景に日本侵略を企てていることを幕府に吹聴していたので、1624年、幕府はスペイン船の来航を禁止しました。

鎖國政策的最大目的是禁止基督教。在基督教新思想的影響下,人們開始漸漸否定幕府的政治體制,基督徒大名在貿易當中攫取巨額利益等情況都引起了江戶幕府的警戒心,因此江戶幕府禁止西班牙船和葡萄牙船的到來,想藉此由幕府壟斷貿易(貿易統制)。

此時雖然荷蘭船隻也來到了日本,但他們只進行了貿易,沒有開展佈教活動。荷蘭甚至還向幕府吹耳旁風,說西班牙和葡萄牙企圖通過佈教活動來侵略日本,於是幕府便於1624年禁止了西班牙船的到來。

ポルトガル船は、日本に不可欠な生糸を取り扱っていたので、来航を禁止することができませんでした。ポルトガル人を「出島」に住まわせ、島の出入りを管理しながら貿易を続けました。長崎の商人たちは毎年ポルトガル商人から年間1億円以上の土地の使用料を支払ってもらっていました。

由於當時葡萄牙的船隻經手著日本必不可缺的絲綢,所以幕府沒能禁止葡萄牙船的到來。因此,幕府命令葡萄牙人居住在“出島”上,並在嚴格管理出入島的同時繼續開展貿易。長崎的商人們每年都要從葡萄牙商人那裡收取一年1億日元以上的土地使用費。

しかし、1637年に長崎の島原と天草でキリシタン農民による一揆が起こると、江戸幕府とポルトガルとの関係が悪化して、1639年、ポルトガル船の来航禁止とポルトガル人の国外追放が行われました。

但是,1637年長崎島原和天草發生了基督徒農民武裝暴動,江戶幕府和葡萄牙的關係隨之惡化。終於在1639年,幕府禁止了葡萄牙船的到來,同時還將葡萄牙人驅除出境。

ポルトガル人がいなくなった出島は、人工島建設の資金を回収するために、1641年、長崎の平戸にあったオランダ商館を出島に移しました。ポルトガル船を来航禁止にした1639年から、函館港、横浜港、新潟港、神戸港、長崎港の5大港を外国に開放した1859年までの220年間、オランダは日本との貿易を独占して莫大な利益を得ました。

葡萄牙人撤離出島後,為了收回建設人工島的資金,1641年將原本位於長崎平戶的荷蘭商行搬遷到了出島。從禁止葡萄牙船到來的1639年開始到向外國開放函館港、橫濱港、新瀉港、神戶港、長崎港的1859年,這220年間荷蘭壟斷了外國與日本的貿易,從中獲得了巨大的利益。

現在の出島は周囲を埋め立てて陸続きになったので、扇形の島であった頃の面影はないですが、シーボルトのお抱え絵師が1820年頃の出島を描いたとされる絵図を参考にして15分の1の模型が公開されています。

現在的出島周圍已經被填埋,整個島嶼已經和陸地相連了,所以已經看不到以前扇形島嶼時期的樣子了。西博爾德僱用的畫師描繪了一幅1820年左右出島情景的圖紙。參考這份圖紙所製作的1/15出島模型也有被公開展示著。

2017年、江戸時代と同じように出島と対岸の江戸町の間に130年ぶりに橋が架かりました。19世紀の初め、出島には住居や料理店、蔵、番所など49棟の建物がありました。現在そのうちの16棟を復元しました。当時の街並みなどが再現されていてとても面白いです。 長崎市では、2050年までに水に囲まれていた頃の出島の完全復元を目指しています。

2017年時,如同江戶時代一樣,在出島和對岸的江戶町之間架設了時隔130年的橋樑。19世紀初,出島上有住宅、餐館、庫房、崗哨等共49棟建築。而現在還原了其中的16棟。重現了當時的街道景象真的非常有意思。

長崎市的目標是在2025年前完全還原當時被海水所環繞的出島模樣。

 

這篇文章的作者

どもども

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