伊坂プレス トラベルマガジン

註冊新帳號 登入
LANGUAGE
首頁 > 旅遊雜誌 > 宮城縣 > 到了仙台就絕對要去的地方——青葉城遺址的伊達政宗騎馬像。雖然印象中的伊達政宗是獨眼龍,但騎馬像中的他卻沒有帶眼罩。這到底是怎麼回事呢?

仙台に訪れたら絶対に見ておきたいものは青葉城址の伊達政宗の騎馬像です。独眼竜のイメージですが眼帯が付いていません。いったい、どういうことなのでしょうか?

到了仙台就絕對要去的地方——青葉城遺址的伊達政宗騎馬像。雖然印象中的伊達政宗是獨眼龍,但騎馬像中的他卻沒有帶眼罩。這到底是怎麼回事呢?

2021/01/28

 

位於宮城縣仙台市的仙台城是由伊達家第17代家主,也是成為了仙台藩第一代藩主的伊達政宗所建的城堡。城堡的本丸(中心內城)於1602年完工。據說當時雖然建設了天守台,但為了不引起德川家康的警戒,所以特意沒有在天守臺上建設天守閣(望樓)。

由於仙台城位於青葉山,所以當地人又將其親切地稱為“青葉城”。現在的仙台城作為“仙台城遺址”“青葉城遺址”,已經成為了仙台市的人氣觀光景點。

仙台城の本丸は、東は広瀬川に面した断崖、西は「御裏林」と呼ばれる山林、南は竜ノ口渓谷に囲まれた守りやすく攻めにくい自然の地形を利用した山城です。政宗の死後、2代藩主の忠宗によって青葉山の麓に二の丸が築城されて、二の丸が完成した1639年以降は、幕末(1868年)まで二の丸が藩政の中心でした。

仙台城的本丸(中心內城)東面是面朝廣瀨川的懸崖峭壁,西面被稱為“禦裡林”的山林,南面被龍口溪穀環抱其中,是一個利用了易守難攻自然地形的山間城堡。政宗死後,第2代藩主伊達忠宗在青葉山山麓修築二之丸(第二城堡)。二之丸於1639年完工後直到幕府末期(1868年)都是仙台藩的政治中心。明治時代以後,仙台城被明治政府所管轄,二之丸被用作了軍事設施。在1882年的火災當中,二之丸的大部分建築都被焚燒殆盡。此外,本丸內的建築也在明治時代初期被破壞掉了。現在城堡遺址一帶變成了青葉山公園,本丸舊址上不僅樹立了伊達政宗的騎馬像,還修建有宮城縣護國神社及仙台城見聞館等。二之丸成為了東北大學的校園,三之丸成為了仙台市博物館。現在殘留著的僅有石牆等遺留構築物。

天守台に建つ伊達政宗の騎馬像は仙台の代表的な風景になっています。現在の騎馬像は1964年に設置された2代目です。初代の騎馬像は第二次世界大戦で金属供出されました。

樹立於天守台之上的伊達政宗騎馬像是仙台的代表性風景。現在的騎馬像是1964年安放的第二代銅像。第一代騎馬像在二戰中也為國家提供了金屬。眾所周知伊達政宗是獨眼龍,但以青葉城遺址的騎馬像為首,在其死後建立的肖像基本都沒有帶眼罩。據說這是因為伊達政宗的遺言所致。

仙台城跡の伊達政宗の騎馬像と石垣が日没から23時までライトアップされます。本丸跡は標高130mの位置にあるので、眼下には仙台の中心市街の夜景を眺めることができます。

仙台城遺址的伊達政宗騎馬像和石牆從每天日落後到23點都會有彩燈點綴。本丸遺址由於處於海拔130m的位置,所以可以將仙台市中心街道的夜景盡收眼底。

中学校の唱歌となった「荒城の月」(作詞:土井晩翠/作曲:滝廉太郎)は、仙台で生まれた土井晩翠が、荒れ果てた「仙台城」をモデルにして作詞しました。

已經成為中學音樂課教學歌曲的《荒城之月》(作詞:土井晚翠/作曲:瀧廉太郎)是在仙台出生的土井晚翠以殘敗不堪的“仙台城”為原型來作詞的歌曲。

広瀬川は仙台城の外堀のように流れています。本丸跡からも広瀬川を望むことができて、1970年代に大ヒットした『青葉城恋唄』の歌詞をメロディにのせながら口ずさんでしまいます。

廣瀨川是一條像是仙台城護城河一樣靜靜流淌的河流。從本丸遺址上也可以望見廣瀨川。望著廣瀨川,口中就不自覺地和著1970年大熱金曲《青葉城戀歌》的曲調哼唱出其歌詞。

大手門とその脇櫓はどちらも戦前は国宝に指定されていましたが、1945年の仙台空襲で焼失。1967年に脇櫓が復元されました。

大手門(正門)及其脅櫓(側方箭樓)在二戰前被指定為了國寶,但最終還是在1945年的仙台空襲中被燒毀了。現在的脅櫓是1967年修復的建築。

仙台城三の丸跡に位置する仙台市美術館は、伊達家が仙台市に寄贈した文化財を保管・展示している美術館です。仙台藩に関連する歴史資料、文化資料、美術工芸品など約9万7000点が収蔵されていて、そのうち約1000点が展示されています。

位於仙台城三之丸遺址上的仙台市美術館中保存並展示著伊達家捐贈給仙台市的各種文化遺產。館內收藏著仙台藩相關的歷史資料、文化資料、美術工藝品等約97000件藏品,展出的只是其中的約1000件藏品。

仙台市美術館の敷地内にある伊達政宗の胸像は、1935年に本丸跡に設置された初代騎馬像の一部で、戦時中に金属供出のため撤去されたのですが、戦後の混乱の中で胸から上の部分が偶然発見されたものです。

仙台市美術館館區內的伊達政宗半身像是1935年安放在本丸遺址上的第一代騎馬像的一部分。雖然二戰時為了給國家提供金屬而拆掉了整個第一代騎馬像,但在戰後的一片混亂當中偶然發現了騎馬像胸部以上的部分。

五色沼は、元々は仙台城を囲む外堀の一部で、三の丸の北側から大手門にかけて広がっていました。この五色沼は日本におけるフィギュアスケートの発祥の地といわれています。20世紀のはじめ、東北大学の学生がドイツ語教師からスケートを教わったのがはじまりです。

五色沼原本是環繞仙台城的護城河的一部分,最初整個池沼從三之丸的北側一直覆蓋到了大手門。據說這個五色沼是日本花樣滑冰的發祥地。20世紀初,東北大學的學生們從德語老師那裡學會了滑冰。自此開始,之後的東北大學畢業生們就在日本各地努力普及和指導花樣滑冰了。

瑞鳳殿は伊達政宗の霊廟です。1637年に造営された瑞鳳殿は桃山文化を伝える豪華絢爛な建物で戦前は国宝に指定されていましたが、仙台空襲によって焼失。1979年に再建されました。

瑞鳳殿是伊達政宗的陵廟。雖然建於1637年的瑞鳳殿作為傳承了豪華絢爛桃山文化的建築物在二戰前被指定為了國寶,但還是在仙台空襲當中被燒毀了。現在的瑞鳳殿是1979年重建的建築。

大崎八幡宮の社殿は、伊達政宗が上方から当代一流と謳われた名匠たちを招いて造営した桃山文化を代表する豪華絢爛な建物です。国宝に指定されています。神様が鎮座する本殿と人間が拝礼する拝殿を「石の間」と呼ばれる部屋でつないで一体化したのが特徴で、徳川家康(東照大権現)を祀る日光東照宮もこの様式を用いたので、この様式の社殿を「権現造」と呼んでいます。

大崎八幡宮的神殿是伊達政宗召集了在上方(都城)被奉為當代一流的知名工匠們所建造的代表著豪華絢爛桃山文化的建築物。這裡也被指定為了國寶。該建築的特點是神靈坐鎮的正殿與人們參拜的參拜殿由一個被稱為“石之間”的房屋連接從而構成了一個整體。由於供奉德川家康(東照大權現)的日光東照宮也使用了這種建造樣式,所以這種樣式的神殿被叫做“權現造”樣式。

 

這篇文章的作者

どもども

您需要登錄才能對文章發表評論

ページのトップへ戻る