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上杉神社(上杉謙信、上杉景勝、直江兼続)のイラスト

上杉神社(米沢城址)

2021/06/09

上杉神社があって、上杉博物館や上杉伯爵邸もあって、そして銅像のオンパレードです。米沢城址を散策してみた。

山形県米沢市の旧米沢城の本丸跡に鎮座する「上杉神社」は戦国時代(16世紀)の武将・上杉謙信が祀られている神社です。上杉謙信は1578年に没して、越後国(現在の新潟県)の春日山城に遺骸が祀られましたが、後継者の上杉景勝が会津を経て、1601年に米沢へ転封されたのを機に謙信の霊柩も越後から米沢に遷されて、米沢城の本丸に祠堂を建立して霊柩を安置しました。

上杉神社の舞鶴橋のイラスト

上杉神社は明治時代(1872年)の創建です。明治新政府によって神仏分離令(1868年)や廃城令(1873年)が出されると、上杉謙信の霊柩は上杉家の墓所(「上杉家廟所」)に移され、仏式から神式に改められました。

上杉神社の稽照殿(宝物殿)のイラスト

本丸跡にある「稽照殿(けいしょうでん)」には、上杉神社の宝物殿として上杉家伝来の刀・甲冑・絵画など約300点が収蔵・展示されています。直江兼続の「愛」の甲冑や上杉景勝の「日輪」の甲冑も見ることができます。

米沢城址・松が岬公園の上杉鷹山の銅像のイラスト

旧米沢城の二の丸跡(松が岬公園)には、米沢藩9代藩主、中興の名君として有名な上杉鷹山を祀る松岬神社が鎮座しています。上杉神社の創建時には鷹山も上杉神社に合祀されていましたが、上杉神社が別格官幣社(国家のために特別な功労があった人物を祀る神社)になった時に、上杉神社の摂社として松岬神社が創建(1902年)されました。上杉鷹山は、倹約質素・殖産興業・新田開発を行い、財政難であった米沢藩を立て直したので、米沢藩主の中でも特に人気があります。元アメリカ大統領のJ・F・ケネディやビル・クリントンが日本人の政治家の中で一番尊敬する人物として上杉鷹山を挙げています。

米沢城と伊達政宗のイラスト

米沢城の起源は、鎌倉時代(1238年)に長井氏によって築城されたと伝えられています。当時は「松ヶ岬城」と呼ばれていました。室町時代(1380年)に伊達氏によって長井氏は滅ぼされ、1591年まで伊達氏が米沢城を支配しました。独眼竜で有名な伊達政宗は米沢城で生まれています。

米沢城址の鳥瞰図

1598年に豊臣秀吉の命令で会津120万石に上杉景勝が入ると、米沢城主は景勝の重臣・直江兼続になりましたが、関ヶ原の戦い(1600年)で豊臣軍についた上杉景勝は、徳川家康によって米沢30万石に減封されて、1601年に初代米沢藩主として入城しました。その後、後継ぎ問題で米沢藩は15万石になりましたが、1601年から1869年の「版籍奉還」(大名から土地と人々を朝廷に返還した明治政府の政治改革)までの約270年間、米沢城は上杉氏13代の居城でした。1873年に城は取り壊され、1874年に米沢城址は公園として開放されました。

米沢市上杉博物館のイラスト

旧米沢城の二の丸跡にある「米沢市上杉博物館」では、上杉氏ゆかりの貴重品などが展示されているほか、上杉氏の歴史と文化、特に上杉鷹山を中心に構成された内容になっています。伊達氏などの江戸時代以前の展示もあります。

米沢城址・松が岬公園(菱門橋と桜)のイラスト

「松が岬公園」は桜の名所として知られています。かつては城主だけが渡ることができたという「菱門橋(ひしもんはし)」の赤い欄干が桜の季節ではいっそう印象的に映えています。

米沢城址・松が岬公園(上杉雪灯篭まつり)のイラスト

毎年2月の第2土曜日と日曜日に「上杉雪灯篭まつり」が行われ、上杉神社境内と松が岬公園の周辺では約300基の雪灯篭と1000個の雪ぼんぼり(雪洞)に灯かりがともされます。

上杉伯爵邸(上杉記念館)のイラスト

明治維新(1869年)後、上杉氏は華族(日本の貴族)となって、伯爵の位を授けられました。旧米沢城の二の丸跡には、米沢藩13代(最後)藩主の本邸であった「上杉伯爵邸」があります。昭和時代に上杉氏から米沢市に寄贈されて、現在は「上杉記念館」として、観光施設やレストラン、カフェとして利用されています。

上杉家廟所のイラスト

上杉家廟所は、上杉謙信と米沢藩の歴代藩主の墓所です。国指定史跡です。

 

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どもども

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