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磐梯山 猪苗代湖 民謡ガールズ

なぜ、福島県の磐梯山は宝の山なのか?小原庄助さんのように朝寝、朝酒、朝湯が大好きだとやっぱり駄目なのか?

2021/03/18

 

磐梯山(標高1816m)は、福島県会津地方の象徴的な山です。磐梯山を『宝の山』と歌う民謡『会津磐梯山』は、明治時代(1868年~)初頃から会津若松市を中心に歌われている盆踊り唄です。昭和時代の初頃(1934年)にレコード会社から『会津磐梯山』が発売されてから全国的に有名になり、岐阜県の『郡上踊り』、徳島県の『阿波踊り』とともに、日本三大民謡の一つにも数えられています。

民謡「会津磐梯山」の由来(盆踊りを踊っているイラスト)

民謡『会津磐梯山』は、もともと会津民謡の『玄如(げんじょ)節』から盆踊り歌として転用されたもので、1934年にレコードを発売する時に、曲の歌い出しから『会津磐梯山』と命名されました。『小庄助さん なんで身上(しんしょう)潰した・・・』のお囃子もその時に入りました。歌詞は全部で162番あって、有名な『会津磐梯山は宝の山よ~♪』から始まる歌詞は、実は21番だそうです。 

民謡「会津磐梯山」の由来(天寧寺の僧・玄如が水を汲んでいるイラスト)

『玄如節』は、祭礼の時などで歌の名人たちが集まり、掛け合い形式で即席の歌を創って競いあった民謡です。その由来には、会津東山の天寧寺に住む「玄如」という名前の美僧の顔をひと目見たいと、里の乙女たちが歌を歌い出したという説があります。

「会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がなり下がる」の意味・イラスト解説図

民謡『会津磐梯山』には、『会津磐梯山は宝の山よ 笹に黄金がなり下がる』という有名な歌詞があって、『笹に黄金がなり下がる』の意味について古くから議論されています。飢饉の時に笹に黄金の実がついたという説、磐梯山の周辺は気候が良いので作物が豊富に収穫できるという説、磐梯山から鉱石、とりわけ砂鉄が産出されるという説など、たくさんの説があって、徳川幕府の埋蔵金伝説も残っています。

会津磐梯山の小原庄助が朝寝・朝酒・朝湯しているイラスト

民謡『会津磐梯山』のお囃子で「小原庄助」という人物が登場します。モデルとなった人物についてはたくさんの説があってはっきりわからないようですが、小原庄助さんは、朝寝・朝酒・朝湯が大好きで、そのせいで財産がなくなり無一文になってしまったといわれていて、そのような顛末になった小原庄助さんの生活について、会津の人たちは当然の報いだと思っています。

会津磐梯山と東山温泉のイメージイラスト

しかし、朝寝・朝酒・朝湯は至福のひと時であるのも事実なので、民謡『会津磐梯山』の歌詞でも『朝寝朝酒朝湯がよけりゃ おいでなされや東山』と歌われていて、朝湯・朝酒・朝湯がしたいのなら、会津の東山温泉に来てくださいとすすめています。

小原庄助の墓のイラスト

福島県白河市には、お猪口とお銚子の形をした小原庄助さんの墓が残っています。

 

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どもども

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