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福島県にも祇園祭があるんだよ!朝から花嫁行列を見て、夜は屋台運行を見て、その間は子供歌舞伎を見て、会津の祇園祭は一日中楽しめる!

福島縣竟然也有祗園祭!早上看“花嫁行列”(新娘遊行隊列),晚上看舞台演出,中間欣賞兒童歌舞伎,會津的祗園祭可以遊玩一整天!

2021/04/21

 

每年7月22日至25日的3天裡,福島縣男會津町的田島地區都會舉行“會津田島祗園祭”。會津田島祗園祭與“京都祗園祭”“博多祗園山笠”並稱日本三大祗園祭,有800多年歷史,也被指定為了國家重要無形民俗文化遺產。

見どころは23日の早朝に行われる「七行器(ななほかい)行列」で、華やかな花嫁衣裳を身に包んだ女性たちが町の中を練り歩く光景は「日本一の花嫁行列」と呼ばれていて、沿道にはたくさんのカメラマンや観光客が詰めかけて賑わっています。昔は未婚男性の花嫁探しの場と言われていました。

會津田島祗園祭看點之一是23日清晨舉行的“七行器行列”。身著華麗新娘服飾的女性緩步前行,被稱為“日本第一花嫁行列”。隊列沿途擠滿眾多攝影師和遊客,非常熱鬧。據說以前這個新娘隊列曾是未婚男性尋找自己新娘的地方。

昔の日本では、疫病が発生する原因は怨霊の祟りといわれていて、疫病を抑えるには祟りを和らげなければならないと考えられていました。

在很久以前的日本,人們認為發生疫病是因為有怨靈作祟,要想控制疫病就必須要平息怨靈的憤怒。

12世紀の末頃、時の領主・長沼宗政が疫病神とされる牛頭天王(ごずてんのう)を信仰したのが会津田島祇園祭の始まりで、酷暑の夏に疫病が流行しないように牛頭天王に楽しんでもらうための祭りです。ちなみに牛頭天王は、牛の頭に体は人間の姿をした仏教の神様で、馬の頭に体は人間の姿をした馬頭天王(めずてんのう)と共に冥界の主である閻魔大王の従者となっています。

12世紀末,當時的領主長沼宗政信奉瘟神牛頭天王,這就是會津田島祗園祭的起源。會津田島祗園祭是為了讓牛頭天王玩得高興,從而不讓疫病在酷熱的夏天流行而舉辦的祭典。順便說一下,牛頭天王是牛頭人身的佛教神靈,和馬頭人身的馬頭天王都是冥界之王閻魔大王的隨從。

天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神である須佐之男命(すさのおのみこと)も疫病神の一面を持っているので、牛頭天王と須佐之男命は同一視されています。

此外,因為天照大神的弟神須佐之男命的神格中有一面是瘟神,所以牛頭天王和須佐之男命被看成是同一個人。

23日早朝、神様にお供え物をするために7つある「行器(ほかい)」という容器に酒、赤飯、鯖を入れて、約30名の花嫁衣装を着た独身の女性たちが神社まで練り歩きます。

23日清晨,約30名身著新娘服飾的單身女性會在給神靈奉上供品的7個被稱為“行器”的容器中分別裝上酒、紅豆飯、青花魚,然後拿著7個行器,緩步前行至神社。

22日と23日の2日間、大屋台の上で子供たちによる歌舞伎が上演されます。屋台歌舞伎は、江戸時代から子供たちによって演じられていましたが、明治時代の初めごろ「教育的に好ましくない」という理由から、子供たちによる上演は一旦途絶えました。平成時代になって子供歌舞伎を復活させようという機運が高まり、1994年、およそ110年ぶりに子供歌舞伎が復活しました。

22日和23日這兩天,大屋台(臨時舞台)上會有兒童歌舞伎表演。舞台歌舞伎自江戶時代以來都是由兒童來表演的,但明治時代初期因為“在教育上不大好”所以兒童歌舞伎表演曾經中斷了一段時間。到了平成時代,回復兒童歌舞伎的呼聲高漲,1994年,約時隔110年後重新恢復了兒童歌舞伎。

祇園祭で運行される大屋台は全部で4台あって、祭りが終わると格納庫に収納されています。4月から10月までの毎月第3日曜日に一般公開されています。

祗園祭中使用的大屋台一共有4個。祭典結束後,4個大屋台將會被收納進格納庫中保管。格納庫在4月至10月的每月第3個週日向公眾開放。

祇園祭の最終日の午後、神社の神楽殿で台詞が一切ない終始無言の「太々御神楽(だいだいおかぐら)」が奉納されます。「天地開闢」「鎮悪神」「岩戸開き」「浦安の舞」など、13段の舞があります。

祗園祭最後一天的下午,在神社的神樂殿中將會上演一場從頭到尾都無台詞的“太太御神樂”(神樂:奉獻給神的歌舞表演)。該表演一共有“天地開闢”“鎮惡神”“岩戶開”“浦安之舞”等13段舞蹈。

 

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どもども

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